第2回 グローバル化する社会で、世界はどうなるの?日本はどう変わる? 2015年4月、国際文化学部をキャンパス移転・改組し、新たに国際学部を設置予定
第2回グローバル化する社会で、世界はどうなるの?日本はどう変わる?

「グローバル化」って、
〝世界がひとつになる〟ということ?

世界中の人やモノ、お金や企業がつながっている現代、今後ますます「グローバル化」が進むと言われています。それって、私たちの日常にどう関係があるの?

外国人とのコミュニケーション
私たちは気づかないうちに、「異文化交流」をしている?

私たちが当たり前に耳にするようになったこの「グローバル」という言葉が、頻繁に使われるようになったのは1989年以降のこと。ベルリンの壁が崩壊し、東西の冷戦が終結する世界情勢のなかで、「資本主義・自由経済」対「社会主義・計画経済」といった二項対立が消え、〝世界はひとつである〟という発想のもと生まれたのが、「グローバル」という概念です。

当時はグローバル化により世界が均質になり、単一化(フラット化)していくという考え方が主流でした。それはモノやお金が世界を駆け巡る「経済」を中心に、グローバル化がとらえられていたからです。しかし、現在、世界では単一化よりも、むしろ多様化が進んでいると考えられています。国籍や民族の異なる人々、そしてそれぞれが持つ文化が、グローバル化する世界で異文化としてグラデーションを描き始めたのです。

多様化する世界を前に、異なる文化を持つ人々が、互いの文化的違いや価値を受け入れ、尊重し、新たな関係性を創造することを目指す「多文化共生」の考え方が、重要な意味を持つようになりました。
でも、私たちは自分の持つ文化を、普段はそれほど意識していません。

例えば、海外で食事の前にお祈りをするクリスチャンを目にしたとき、私たちは、自分たちが食事の前に「いただきます」と言葉を発しながら手を合わせる習慣を持っていることに気がつきます。異なる文化が交差するとき、初めて私たちは自国の文化を意識させられ、同時に、異なる文化に対して違和感を感じることもあるでしょう。
しかしこうしたとき、それぞれの文化に優劣をつけるのではなく、違いを理解して受け入れることが多文化共生につながります。
この多文化共生の考え方は、民族や国籍の異なる外国人との共存に限定されるものではありません。例えば、お父さんやお母さん、学校の先生の言うことが理解できないときがありませんか。それは「ジェネレーションギャップ」という異文化がそこに存在しているからです。

多文化共生で大切なことは「ぶつかる」こと。ぶつかるというと、なんだか怖い気持ちがしますが、そうではなくて、コミュニケーションの際に生じる〝ずれ〟を見出すことが重要。例えば、異なる文化背景を持つ相手との対話で、意見を述べ合ってぶつかることで、相手がどういう観点から話をしているのかを初めて理解できた経験はありませんか。 そんなふうに私たちの身の周りにある、さまざまな異文化を意識し、それを理解しようとすることが、コミュニケーションの第一歩となります。グローバル化というと、遠い話に聞こえるかもしれませんが、こうした身近なところから始まるのではないでしょうか。

実際に海外に行き、その土地の文化に触れる留学体験は、コミュニケーションのツールとしての語学力の向上に加えて、自分の文化の再認識や、異文化理解を深める絶好の機会ともなります。また国内にいても、学部の教員の40%が外国人という龍谷大学の国際文化学部では、日々の学生生活が刺激に満ちた知的体験となるでしょう。
そんな環境で培われる〝物事を多面的にとらえる視点〟は、見慣れた日常やありふれた風景にも私たちの足を止めさせ、これまで自分が当たり前だと感じ思い込んでいたことが、実はそうでもないと気づかせてくれるでしょう。国際文化を学ぶことは、こうして〝新しい自分に出会う〟ことでもあるのかもしれません。

外国人とのコミュニケーション 私たちは気づかないうちに、「異文化交流」をしている?

日本へ来る外国人、海外へ行く日本人
日本で働く外国人が増えると、助かる人は、誰?

モノやお金の移動だけではなく、「人の国際移動」もグローバル化の大きな要素の一つです。例えば、日本とアジア各国との経済連携協定により、少しずつ外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れが行われています。
医療現場での人手不足が予測されている日本では、外国人労働者は貴重な労働力になると考えられていますが、現状は問題も少なくなく、解決にはまだ時間がかかると予想されています。いったい何が問題なのでしょうか。

まず、言葉の問題があります。痛みを表す表現にも、「ちくちく痛い」「刺すように痛い」などと日本語にはさまざまな表現があり、看護師など医療の現場では繊細で正確な表現が求められ、それには高度な語学力が必要とされます。
また、文化の違いによる問題も起こります。介護福祉士の仕事は、寝たきりや認知症のお年寄り、障がいを持った人などに、食事・入浴・排せつなどの介助・介護など。いわば「家庭」の仕事です。そこで行われる日常生活の援助のなかにこそ、私たちと外国人の間の文化の違いが多く表れます。
例えば、入浴補助でのこと。日本ではお風呂は42℃くらいのお湯が一般的ですが、湯船に浸かる習慣を持たないフィリピン人の介護士は、その温度設定に違和感を持ち、結果、日本人にはぬるい湯にお年寄りを入れてしまうなんてこともあります。その他、日本では介護は自立支援というスタンスから、リハビリのために、あえて過剰には手助けをしないという考え方があります。しかし、フィリピンでは困った人はすぐに手を差し伸べるのが当たり前という考えがあるため、現場で混乱を生む場合もあります。

生活に密着した家庭の中だからこそ必要とされる、その国の文化に根付いた感覚や知識は、今後はあらゆる生活のシーンで必要とされる可能性があるでしょう。そして、こうした感覚や知識は、人と人のコミュニケーションや交流といったものの積み重ねの中で、私たち自身の中にしっかりと養われて来たものです。 翻って、世界では、グローバル化によって、こうした「家庭の国際化」がすでに進んでいる国も少なくありません。家事労働に加えて、外国人労働者がベビーシッターなどの育児に携わるケースも多く、時には言葉の違いをメリットととらえ、子どもの外国語の習得に役立てる場合もあります。

日本で「家庭の国際化」が進めば、何が変わるのでしょうか。家事や子育てといった家庭の仕事では、まだ女性の負担が多い日本です。キャリアアップか子育てかといった取捨選択を迫られるというケースも少なくありません。しかし、外国人労働者のサポートを受け入れることで、女性が担っている家事労働や育児の負担を軽減できるかもしれません。
そして、グローバル化が進むと、自らが外国人労働者となり海外で働くケースも出てくるため、女性の海外赴任も増えるでしょう。母親が不在の家庭で、外国人の家政婦が家事と子育てを担当すれば、語学力の習得のみならず、日常での異文化交流は子どもの視野を広げる経験ともなるかもしれません。

グローバル化による「人の国際移動」はこうした多文化の共生にもつながり、労働力だけではないメリットが、受け入れ国・送り出し国の双方にあると考えられています。
また、言葉は文化を構成する重要なものですが、それのみならず、文化は、慣習や思想、経済・法律など、社会を構成するさまざまなものの複合体です。龍谷大学国際文化学部では、外国語を用いながら、多面的な視点で文化研究を進めていきます。
例えば、外国人労働者の問題でも、日本政府の外国人労働者の受け入れ体制の変化や推移、またその背景、あるいは、経済的な数値で見る外国人労働者のメリット・デメリットなど多方面からとらえることができます。
こうした幅広い文化への視点を身に付けながら、さまざまな文化的背景を持つ外国人教員との交流や、充実した留学制度を活用し、異文化の中に身を置いて研鑽を積むなどを通じ、国際的なコミュニケーション力を養っていきます。
グローバル化をはじめ、日本の社会は常に変化し、複雑化しています。異文化を柔軟にとらえ、さまざまな違いを超えてコミュニケーションできる力があれば、目まぐるしい社会の変化に呼応しながら、自分自身もまた創造的に変化・成長していけるのではないでしょうか。

日本へ来る外国人、海外へ行く日本人、日本で働く外国人が増えると、助かる人は、誰?


このページのトップへ戻る