オーストラリア連邦
タスマニア大学2009年度後期M.Wさん(男)
- 期間
- 2009/8/26-2010/1/13
- 所用経費(1ヶ月)
-
宿泊費 67,200円 食費 13,000円 交通費 5,000円 教養娯楽費 5,000円 雑費 3,000円 合計 93,200円 - 渡航・帰国費用
- 130,000円
- 授業料
- (年間) 970,000円
- 留学先通貨と日本円の為替レート
- 1AUSドル=80
住宅について
タスマニア大学周辺にはたくさんのアパートやシェアハウスがあり、一週間当たり150ドル前後、大学近くにある寮の場合は170ドル前後で借りれます。 ホームステイだと一週間当たり210ドルで、これはタスマニアのホバート市内ならどこで借りても同じ金額です。やはりホームステイの方がアパートやシェアハウス、大学寮よりも高めですが、朝、昼、晩の食事付きで、何よりも英語でホームステイ先のファミリーと会話をする事が多く、とてもいい英会話の勉強になります。 アパートやシェアハウス、大学寮にはオーストラリア人や英語を母国語とする人たちはほとんど住んでいません。
医療について
オーストラリアでは、けがや病気の具合にもよりますが、日本よりも医療費が安いため、軽いけがや風邪ならそれほどお金の心配はいりません。 オーストラリアに留学する場合、メディバンク(medibank)という健康保険に加入することになっています。これに加入すると病院に入院した場合の診断料が無料になります。(薬や注射は実費)ただし、歯医者の利用やコンタクトレンズの検査費用、救急車の利用には保険は使えません。 支払い方法も違っており、日本では保険加入により元々引かれた金額を支払いますが、オーストラリアでは保険料とは関係なく全額支払い、その後レシートとメディバンクのカードを持ってメディバンクの保険会社に行き、そこで払い戻しを受けるようになっています。
治安・衛生について
タスマニアの州都ホバートの治安はそれほど良くありません。朝・昼は問題ありませんが、夜の市内、特に金曜日と土曜日の夜は一人で出歩くことは避けた方が良いと思います。ホバートでは、金曜日と土曜日の夜は特別な日で、多くの人が仕事終わりや学校終りにバーやクラブ等にお酒を飲みに出かけます。そのため、酔った人たちによる喧嘩が度々起きたり、知らない人から煙草やお金をせがまれることも少なくありません。 私の友人は一度、見知らぬ人に急に殴られたそうです。タスマニアに限らず、オーストラリアには少なからずアジア人差別がまだあり、日中でも車から水をかけられたり、罵声を浴びせられることもあるので、オーストラリアだからと言って安心しきってはいけません
受講科目
Pathway4
期間
2009/8/31-2009/10/5
授業内容・到達度
授業のレベルは高校2,3年生程度で、高校で習った内容を英語で受け直すといった形でした。私を含め新しい生徒が多くいたためか、4,5人の班に分かれてのグループディスカッションをメインに自分たちの国の文化や他国で興味のある文化を話し合ったり、紹介しあったりといった授業でした。 毎週金曜日にライティングの宿題があり、自分の国の歴史についてや自分の将来の夢についてといったテーマが設定され、語数は500字程度でした。私たちのクラスの先生は優しく厳しい人で、宿題の採点も細かくしてもらい、復習がとてもやりやすかったと思います。
Pathway5
期間
2009/10/12-2009/11/13
授業内容・到達度
Pathway4から無事Pathway5に上がれたのですが、難易度が一気に上がったように感じられたクラスでした。 内容としては、Pathway4ではやらなかったプレゼンテーションを4,5人の班で役割を決めて二度発表しました。ライティングの宿題ももっとアカデミックな内容に変わりました。今までエッセイやレポートを書くときに使っていた単語を使わないように教えられたため、はじめは難しく何度も書き直しをさせられましたが、とてもいい勉強になり、力もついたと思います。
Pathway6
期間
2009/11/16-2009/12/18
授業内容・到達度
Pathway4,5ともにグループディスカッションとライティングに重点を置いた授業内容でしたが、Pathway6ではプレゼンテーションがメインの授業といった感じでした。毎週金曜日にテーマを発表し、次の週の月曜日に一人ずつ内容を発表していくという形で行われました。プレゼンテーションのテーマは興味のある偉人、自国の自慢できる点、自分の故郷の祭り、自分の趣味等でした。 クラスには韓国人や中国人、シンガポール人、サウジアラビア人など様々な国からの留学生がいたので、このプレゼンテーションにより日本とは違った文化や考え方の違いを多く知ることができたので、とても楽しく充実した授業を受けることができました。
留学を終えての感想
理想と現実
留学は、私の子供のころからの夢でした。中学二年生の時に初めてオーストラリアでホームステイし海外での生活を知って以来、大学生になったら半年は留学に行くと決心していました。龍谷大学に入り、PECというコースを知り、留学に行ける資格を得てからは留学先への期待と興奮で毎日が楽しく感じられました。そもそも私が留学先にオーストラリアのタスマニア州という、誰もが何故そこを選んだかと不思議がる場所を選んだ理由は二つあります。一つ目の理由は中学二年生の時と高校二年生の時に二週間のホームステイを経験していたことです。
一回目は西海岸のパース、二回目は東海岸のブリスベンでしたが、どちらも毎日が本当に楽しく充実した生活が送れ、現地の人も優しく親切で、いい思い出がたくさんできました。そのためかオーストラリアという国に対して微塵も不安や恐れがなく、両親も「オーストラリアなら安心」と留学を許してくれました。
二つ目の理由は、子供のころから自然や動植物に興味があり、いつか日本以外の緑豊かな場所をこの目で見て、手で触れて体全身でそこの空気を味わってみたかったからです。そして、パークレンジャー(自然観察保護官)のような自然や動物を保護する仕事に就くのが私の将来の夢だからです。これらの理由から、迷いもせずオーストラリアを選び、その中でも北海道よりも一回り小さい面積の中に16か所もの国立公園が点在している自然の宝庫であるタスマニア州に目をつけました。
二度の乗り換えと14時間という長時間のフライトの後、タスマニア州のホバート空港に降り立ち空気を吸い込んだ瞬間、田舎にある自分の故郷と似たような匂いと心地よさを感じました。一歩一歩踏み出すごとに今までタスマニアに抱いていた、自然豊かな土地、安全でとても住みやすい場所、心温かい人々、といった思いが溢れ、自然と笑顔がこみ上げてくるほどでした。タスマニアで過ごした約半年間はとても楽しく、息つく暇もないほど充実していました。ホームステイ先のファミリーや様々な国からのたくさんの友達にも恵まれ、些細なことにも喜びを感じられる毎日でした。
しかし、時間というものは皮肉なもので、タスマニアでの半年間の思い出のは楽しい事ばかりではありませんでした。ひとつは、タスマニアの治安。悪いとは言えませんがいいとも言い切れません。学校からもホームステイ先からも夜9時以降の一人での外出は極力避け、どうしても外出しなければならないときは二人以上で行動するように言われました。タスマニアには未だにアジア人差別が残っており、夜の市内を歩いていると、車の中から罵声を浴びせてきたり、ペットボトルの中の水をかけてきたり、時にはその水の入っているペットボトルを投げてきたりします。私も1日に一回は必ず罵声を浴びせられ、滞在中一度だけ水もかけられました。金曜日、土曜日の夜はタスマニアの人たちにとって特別な時間で、多くの人がバーやクラブにお酒を飲みに出かけます。そのため、酔った人たちの喧嘩が起き、それに巻き込まれたり急に殴られたアジア人もいるようです。そして、タスマニアの語学学校の先生によると、1996年4月28日にポートアーサーという旧流刑場跡でマシンガンを持った男による大量殺人事件が発生し、35人もの死者が出たようです。
死者の中にアジア人がいたかどうかは分かりませんが、犯人の男は日本人を狙っていたのだと後で調べてわかりました。煙草に対する規制も緩く、バスの車内や街中の壁には禁煙を呼びかけるポスターはあるのですが、あまり効果がないようで、日本で見るよりもたくさんの人がたばこを吸っているのを目にしました。そして、マリファナも一般に広く出回っており、公には販売されてはいませんが、一度バーに友達とお酒を飲みに行ったときに、トイレで見知らぬ人に「一緒に楽しまないか?」とマリファナを勧められたこともありました。
二つ目は、タスマニアの自然と動物。留学前にタスマニアの自然や動植物について自分なりに色々と調べたことで、タスマニアの自然は本当に雄大で、動植物もほかの国にはいない個性的な種で溢れていることがわかりました。実際に16か所中5か所の国立公園を訪れ、自分の足で歩き、自分の目で見てまわりました。自分が調べた以上に力強く生き生きとした自然が至る所に広がっており、あちこちで野生動物が元気に走り回る姿も見ることができました。しかし、国立公園で働いているレンジャーの方々に「タスマニアの国立公園で起こっている深刻な問題は何か?」という質問をしたところ、思いもよらない返答が返ってきました。それはブッシュファイヤーと、タスマニアにだけ生息するタスマニアンデビルを襲う奇病についてでした。毎年夏になると必ず発生するブッシュファイヤー。それは森林にも住宅にも多大な被害を与え、毎年死者も出るといいます。タスマニア史上一番被害が大きかったブッシュファイヤーは、ブラックチューズデーと呼ばれる1976年2月7日に州都であるホバートで起こった火災で、2642.7ha/kmの土地に110か所も火の手が上がり、1400もの住宅が倒壊し、52人の死者を出したそうです。
また、タスマニアの人気マスコットとなっているタスマニアンデビルを襲う奇病は、デビル顔面性腫瘍と呼ばれるもので、発症したタスマニアンデビルは必ず死に至るとても恐ろしい病気です。今のところこの病気を止める手段はなく、このままでは近いうちにタスマニアンデビルが地球上から姿を消すのではないかと危惧されています。
このように、私がタスマニアに来るまで抱いていた理想は、現実とはかなりかけ離れていました。しかし、私はこれらの現実を知ってもタスマニアという土地、オーストラリアという国を嫌いにはならず、むしろさらに興味が湧きました。この留学に行くまでは二週間という短い期間しかオーストラリアに滞在したことがなく、楽しいことや自分の興味のあることにしか飛びつかず、慣れない英語での生活に精いっぱいで周りをよく見る余裕が無かったために、このような真実から自然と目を背けていたように思います。しかし今回の留学は半年という長い期間だったため、徐々に生活に慣れていく内に、周りを見る余裕が生まれたのだと思います。そのおかげで元々好きだったオーストラリアの深い部分に気づくことができ、よりいっそうこの国を好きになることができました。もし、この留学でこれらの現実に目を背けたままだったなら、何も新しいことを得られず、何も実らない、ただ楽しかっただけの留学で終わっていたと思います。そしてこれらの興味深い経験のおかげで、自分がこれから何をしたいのか、何をするべきなのかがきちんと定まり、自分の将来の夢への道が明確に照らし出されたと思います。
留学とはただ語学を学ぶだけではなく、その国の文化や習慣に触れ、体験し、自国と比較しつつその国を深く知るためにあるのだと身をもって学ぶことができました。これからは、この留学で経験したことを武器に、自分の将来の夢に向かって一歩一歩確実に進んでいきたいと思います。