2015年4月、国際文化学部をキャンパス移転・改組し、新たに国際学部を設置予定
身近なキーワードから、"日本の中の世界" "世界の中の日本"が見えてくる。
今や日本のマンガやアニメは、海外でも大人気。マンガやアニメの熱心なファンの呼び名である「オタク」は、もはや「otaku」として世界共通の言葉になるほど。そんなオタク文化から生まれた、さらに新しいカルチャーが「コスプレ」。アニメのキャラに扮したコスプレイヤーが集まり、舞台パフォーマンスやチャンピオンシップが行われる「世界コスプレサミット」が名古屋で開催されたりと、国内ではすっかり定着した新「日本文化」です。でも、今やこのコスプレ熱は、日本だけにとどまるものではありません。
毎年7月にフランスのパリで開かれる「Japan Expo」のニュースを目にした方はいませんか? 会場は、漫画やアニメ、DVDといった関連グッズが所狭しと並ぶコミックマーケット。その中を、アニメのキャラクターに扮した肌や髪の色も多彩な外国人コスプレイヤーたちが、カメラのフラッシュを浴びていたり。彼・彼女たちから、「ネットで人気の日本人のコスプレイヤーに憧れてます」なんて声を耳にすることもあります。
かつて日本では、フランス映画が大流行し、憧れのパリジェンヌスタイルを真似るといったカルチャームーブメントがありました。その頃の異文化の流入が、なんだかまるで逆の形で起きているようにも感じられます。
でも、なぜ日本のアニメやマンガが海外で人気なのでしょう。さらになぜ、コスプレが外国人に受け入れられ盛んに行われるようになったのでしょう。そもそもコスプレが始まったきっかけは?仮装とコスプレの違いは? どんなコスプレが人気なの? 龍谷大学国際文化学部では、こんなふとした疑問を学びに変えていきます。例えばコスプレを紐解けば、マンガやアニメの流通背景、SNSといった時代によるコミュニケーションツールの変化、コスプレが盛んな国と日本の意外な共通点などが見えてくるかもしれません。
ヨーロッパでも熱狂的な人気を誇り、フランスでは書籍全体の週間売上で1位になったこともある日本のマンガ作品『NARUTOナルト』(岸本斉史・作)。主人公である落ちこぼれ忍者のうずまきナルトは、『ニューズウィーク日本版』2006 年10月号の特集にて「世界が尊敬する日本人100」に選出されたほど、世界中で人気のキャラクター。ですが、世界中のファンと日本のファンは、「ナルト」というキャラクターを共有しているかというと、そうとも言えないのです。
『NARUTO ナルト』に限らず、世界各国の言語に翻訳された日本語のマンガを読むと、その翻訳に違和感を感じるときがあるという声を聞きます。マンガは、ストーリーの理解も重要ですが、イラストと文字を同時に見ることで、キャラクターの声や話し方の抑揚や性格などを想像して読むことも面白さの一つ。その微妙なニュアンスを伝える翻訳はとても重要です。
「翻訳」とは意味を伝えるものですが、それぞれの言語で意味を優先すると、その言語独特の表現や、言葉に込められた「文化」が消えてしまうこともあります。そうしたことが積み重なって、「日本語を話すナルト」と「フランス語を話すナルト」の性質が微妙に違っているかもしれない。ということは、マンガに限らず、どんな翻訳作品にも共通する問題かもしれません。私たちを世界と繋ぐ「言語」にも同様の仮説が考えられます。また、私たちは今、公用語として英語を学校教育で早くから学んでいます。世界の多くの国で、コミュニケーションを行うことができる言語です。でも、日本語を話す私たちが、本当に英語を使って自分らしい表現で話し、それが相手に自分らしく伝えられているのでしょうか。国際文化学部で語学を駆使しながら異文化を多面的に学ぶ中で、さらに興味は広がります。
今から20年前の1993年10月28日、カタールのドーハで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの国際試合において、試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点ゴールが入り、日本のFIFA ワールドカップ初出場が確定するまでわずかな時間を残すだけの状況から、一転して予選敗退が決定。これがサッカーファンの間で「ドーハの悲劇」と語り継がれる出来事で、繰り返し流される映像を目にしたことがあるでしょう。
当時、「ドーハ」という街を、そして「カタール」という国の位置を初めて世界地図で確かめた人が多かったそうです。イスラム圏に含まれるカタールは、中東では初めてFIFA ワールドカップ開催地となることが決定し(2022年予定)、今では日本でも聞き慣れた国名となりました。
カタールに限らず、近年ではイスラム圏のニュースを見聞きすることが増えたものの、言語・宗教・生活スタイルがまるで異なるという先入観から、「なんだかよく分からない」というイメージが先行する人が多いかもしれません。
世界中にある「移民国家」とは異なり、現在の日本は在外国人が少数派として存在する社会です。中でもイスラム系移民はマイノリティ集団の一つで、まだ日本人に身近な存在とは言えません。しかし年々、日本でもイスラム系移民が増加する傾向にあると言われています。もし隣の家にイスラム系家族が引っ越してきたら、私たちはどんなふうに付き合えばいいのでしょうか。もしかすると「サッカー」から異文化理解が始まることもあるかもしれません。
国際文化学部が移転する深草キャンパスのある京都も多文化共生都市。異文化を持つ人との暮らし、多文化が混在する社会は、「遠い」ものではありません。また逆に、海外に暮らす自分を想像したとき、そこでは私たちも「マイノリティ」かもしれません。例えば、イスラム圏で暮らす日本人は、イスラムの人たちの目にどう映っているのか。想像してみると、日本の風俗・文化もこれまでと違って見えてきませんか。
急速な経済発展を遂げる中国。私たちが中国に関するニュースを目にしない日はありません。地理的・歴史的にも、そして経済的にも古くより密接な関わりを持ってきた二国は、現代社会の中で抱える問題にも類似点があります。
例えば「バブル景気」。1980年代後半から90年代初頭、不動産投資・投機による資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象です。この日本のバブル景気と、現在の中国の高成長の類似点を指摘する経済専門家も少なくありません。現在の中国の好景気を支えるのは、大規模なインフラ投資、特に地方政府等が行っている不動産開発。二国の好景気には共通して不動産投資が背景にあることに気づきます。
また「格差社会」という問題が共通して起きています。戦後の高度成長期、そして安定成長期頃を経た日本では、バブル期に所得格差が拡大。バブル崩壊後の1990年代終盤から、日本では「格差社会」(主に「社会的地位」「教育」「経済」の分野の格差が問題)論争が注目されるようになりました。
一方、急速な経済発展の影響で、中国の都市部と農村部の間にも現在大きな所得格差が発生。これは農村部の抱える「三農問題」(農業・農村・農民の問題から起きた経済格差や人口流動)と連動していると言われています。
二国に共通する「バブル景気」「格差社会」の問題は関連があるのでしょうか?
日中で類似して発生する問題、あるいは中国で発生して日本では起こらない問題、またその逆を、多面的な視点から考察・比較することで、日本の中だけでは見えにくかった問題背景が浮かび上がる場合もあります。
このように国際文化学部で身に付ける多面的な視点は、どんなテーマに対しても、これまで見えなかった世界の入り口を探す「鍵」になることでしょう。