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Faculty of International Studies

国際学部

第3回 どうして古都が、国際都市に?

2015年4月、国際文化学部をキャンパス移転・改組し、新たに国際学部を設置予定

第3回 どうして古都が、国際都市に?

なぜ世界中の人が、〝Kyoto〟を訪れるの?

年間7000万人が訪れる古都・京都は、そのうち外国人宿泊数が100万人という世界有数の「国際都市」。
この開かれた街・京都の魅力って、何?
ここで学生時代を過ごすと、どんなことが学べるの?

伝統芸能や茶道・華道から、知らなかった日本が見える?

伝統芸能や茶道・華道から、知らなかった日本が見える?

日本のいち地方都市である「京都」。なのに、外国人に「日本について知っているモノやコトは?」と尋ねると、かなりの高順位で〝Kyoto〟の地名が挙がります。また、国内外の観光地である京都を実際に訪れる外国人宿泊者数は、年間100万人ともいわれています。彼らを魅了するものは、いったい何なのでしょうか。

外国人観光客からは、「京都の街でしか見たり感じたりできない、日本独自の文化だ」という返答をよく耳にします。しかし、日本で生まれ育ち、当たり前のように生活しているわたしたちには、何が「日本文化」なのかを意識する機会はあまりありませんよね。

例えば、お箸を使って食事をすることも、家の中では靴を脱ぐことも、異なる文化で育った人に指摘されたとき、初めてそれが日本文化だと気づいたという経験はありませんか。
わたしたちは、一番よく知っているはずの自国の文化について、実はよく知らないのかもしれません。

外国人が、歌舞伎や能・狂言といった日本の伝統芸能の舞台を初めて目にすると、その表現の豊かさやストーリー性、能面や道具などの美しさにとても驚くそうです。同時に、わたしたちもまた、日本古来の伝統芸能に触れたとき、まるで異文化に触れたような新鮮さを、感じることが多いのではないでしょうか。

龍谷大学国際文化学部には、アジア、アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア等出身の教員が多数在籍していますが、日本文化に魅せられて、伝統芸能に加えて茶道や華道等の日本文化の中心地ともいえる京都に居を構える教員が少なくありません。

例えば、能舞台や、京都の街で見かける日本の伝統的な木造建築、歌舞伎等で目にする着物という美しい衣装もその一つ。外国人教員が「異文化」としてとらえる日本文化への視線は、学生たちに新しい発見と驚きをもたらします。この気づきをきっかけに、これらの根底にある文化的背景までも学ぶことで、学生たちは改めて、日本の歴史や風習を深く考察していきます。それは、知らなかった日本の姿に気づくように、知らなかった自分を知ることにもつながるでしょう。

こうした考察を深めることができるよう、国際文化学部では、日本の文化や日本古来の伝統芸能を学ぶ実践的な授業を活発に行っています。伝統芸能の演者をはじめ幅広いゲストを招いての独創的な授業や、京都市内に点在する龍谷大学のキャンパスや施設を活用した実習がその一例です。

学生は、このような実践的な学びを通じて、日本文化の一端を知り、興味関心を高めていきます。さらに、多彩な留学プログラムの提供により海外で生活をするようになると、自国の歴史や文化について訊かれる機会が多いことに驚かされます。そうした機会に、自国の文化と他の国との違いを意識することができるかどうかで、相手の文化や習慣を深く理解できるかどうかが大きく変わります。

このことは、今後一層、多様化する社会の中で、国や文化の違いを超えて、人が生きていくために、もっとも大切なコミュニケーション能力を身につけることにつながります。そうした力を兼ね備えた〝真の国際人〟となるために、自国の文化を改めて学ぶことは大きな一歩となるでしょう。

日本文化を肌で感じながら京都で自国の文化や異文化を学ぶこと、その上で留学を経験することは、単にそれぞれの違いを尊重し認め合うことにとどまらず、さらに積極的に文化の多様性を捉える、またとない機会になります。

京都で学生生活を過ごすと、自然と身につくものがある?

京都で学生生活を過ごすと、自然と身につくものがある?

「京都の人の言うことは、ほんまかどうかわからへん」。
そんな言葉を耳にしたことはありませんか。「京都のぶぶ漬け」という有名なエピソードがあります。京都の人の家を訪れた際、家人から客人に「ぶぶ漬け、どうどすか」と告げられる。これは、「もうそろそろ帰ってくださいね」という意味だけれど、意味の分からない人は「お願いします」と額面通りで受け止めてもてなしを喜ぶ。すると、陰で「不粋な田舎者」と笑われてしまう…というなんともいけず(京都弁で意地悪の意味)なエピソードです。

京都人の特徴をよく表すものとして、メディアで取り上げられることの多い逸話ですが、あるアンケート調査では、実際にそういう場面を目にしたり耳にしたことのある京都人はごく少数という結果が出たそうです。

常連客に仲介をしてもらうことで、料金やお店の雰囲気を事前に理解して、安心してお店で過ごす時間を楽しむために、「一見さんお断り」をうたうお店も少なくありません。これは客に対する配慮の裏返しなのですが、「ぶぶ漬け」と同様に、「京都のいけず」という印象を持つ人もいます。これもまた、京都人の独特のコミュニケーション方法によるものかもしれません。

世界には7500ほどの言語があります。「人間と言葉」「文化と言葉」「習慣と言葉」という観点から、「コンテキスト」という分類方法があります。文脈や、関係性が影響を与えるコミュニケーションは「高コンテキスト」。その逆が「低コンテキスト」。例えば、電化製品に付随する説明書のように、文字が理解できれば意味が通じるというものは低コンテキストとなります。

このコンテキスト分類では、日本語は世界中の言語の中でも最も高コンテキストに位置づけられます。中でも、「京ことば」はコンテキストが非常に高いといわれています。言い換えれば、「京ことば」は、言葉そのものでは意味が通じにくく、高いコミュニケーション力によって初めて成り立つ言語であるということです。こうした、京都独自のコミュニケーションは、なぜ生まれたのでしょうか。

京都は、歴史的に「苦労した街」です。江戸末期、天皇を擁する京都は、日本の中でももっとも混乱の渦中にありました。日々、情勢が極端に変化するという状況下で、京都の人は、自分自身を守るために、政治や思想に対して、はっきりと言及することを次第に控えるようになります。曖昧な表現の多い京ことばは、こうした中で培われたのではないでしょうか。

また、幕末期の混乱を極める状況において、どうすれば街が生き延びることができるのかと、京都の人たちは真剣に考えていました。結果、情勢の変化を敏感に察知する力を身につけて、時代の変化を柔軟に受け入れながら、新しいモノやコトを生み出す気風が生まれていったのです。

明治以降、教育についても京都は革新的な改革を行います。町人がお金を出し合い、いち早く初等教育を充実させ、最高学府の大学も数多く創設。また、女子教育にも早くから着手し、医師免許制度は全国に先駆けて京都が最初に施行。日本人のノーベル賞受賞者に、何かしら京都にご縁のある方が抜きん出て多いことも、おそらくこうした背景に関係していることでしょう。

京都の産業といえば、西陣織や友禅染といった伝統産業・工芸が注目されますが、任天堂やオムロン、島津製作所、ロームといった最先端のハイテクノロジーの企業を多数抱えるのも、京都の持つ、新しさを受け入れる気質によるのではないでしょうか。そして、そんな街に惹かれて、京都で学生時代を過ごす学生の割合は全国一。京都は古都であると同時に、若い人が多く過ごす街なのです。

歴史都市、文化都市、学術都市、宗教都市とさまざまに形容され、世界の注目が集まる都市。その京都・深草にキャンパスが移転する龍谷大学の国際文化学部では、龍大卒業生が住職や管首を務める大きな寺をはじめ、町家や伝統工芸の工房を訪ねたり、8月16日の「五山の送り火」の日、教員とともに如意ヶ嶽に登るなど、京都ならではの多彩なフィールドワークでも学びを深めています。京ことばの言葉指導や言葉考証を担当する教員もおり、周防正行監督の『舞妓はレディ』(2014年公開)では、龍大生もエキストラ出演したんですよ。

古都の持つ独創的な気風や街並み、京都の人の独特のコミュニケーションなどの影響を受けながら過ごす学生生活はきっと、毎日が驚きと、刺激的で新鮮な発見に満ちていることでしょう。

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